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東京高等裁判所 平成11年(う)1124号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人饗場元彦、同藤縄憲一及び同草野耕一連名作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官尾﨑幸廣作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、原判決は、日本織物加工株式会社(以下「日本織物加工」という。)との間で秘密保持契約を締結していた株式会社ユニマット(以下「ユニマット」という。)の監査役兼代理人としていわゆるM&A(企業合併・買収、以下「M&A」という。)交渉に携わっていた被告人が、平成7年1月13日、同契約の履行に関し、日本織物加工の業務執行を決定する機関である同社代表取締役社長A(以下「A社長」という。)が、懸案のユニチカ株式会社(以下「ユニチカ」という。)の保有株式の問題に決着がつけば、ユニマット及びその関連会社に対し、第三者割当増資を実施するために新株発行を行うとの決定(以下「本件決定」という。)をしたことを知り、更に、同年2月9日ころ、右懸案の問題が決着したことをも知り、日本織物加工の業務等に関する重要事実を知ったが、法定の除外事由がないのに、右重要事実の公表前に、知人名義を使用して同社の株式を買い付けたとの事実を認定し、被告人に証券取引法(平成10年法律第107号による改正前のもの)166条1項違反の罪の成立を認めた、しかし、被告人には、A社長が本件において日本織物加工の業務執行を決定する機関に当たるとの認識はない、本件決定は被告人に伝達されていない、本件秘密保持契約は交渉事実そのものを対象にはしていないから、被告人を有罪とした原判決の認定には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである(なお、弁護人は、本件に関する最高裁判所の判決を受けて、控訴趣意書中、第三の一の1(A社長は業務執行を決定する機関には当たらないとの主張)及び第三の二(A社長は本件決定をしていないとの主張)を撤回する旨釈明した。)。

そこで、原審記録を調査して検討するに、原判決がその挙示する関係証拠によって原判示の事実を認定したことは正当であって、その理由は原判決が「争点に対する判断」の項で認定、説示するとおりであり、その他の証拠及び差戻前の控訴審における事実取調べの結果を合わせて検討しても、原判決の右認定に所論が指摘するような事実誤認があるとはいえない。以下、所論に即して多少説明する。

一  まず、関係証拠を総合すると、本件の経緯等は以下のとおりであったことが明らかである。

1  日本織物加工は、その発行する株式が大阪証券取引所第二部及び京都証券取引所に上場されている会社であり、平成6年当時は、親会社である東海染工株式会社(以下「東海染工」という。)及びユニチカ(以下、両社を併せて「各親会社」という。)において、その発行済み株式総数の過半数を保有し、各親会社間の契約により、その保有割合及びその役員構成を、東海染工が2、ユニチカが1とし、東海染工が日本織物加工の経営の執行責任を負い、ユニチカが主として営業面においてこれに協力することとされていた。

2  東海染工は、平成4年6月、経営再建を目的としてAを日本織物加工に派遣し、Aがその代表取締役社長に就任したものの、経営状態が好転しなかったことから、平成5年3月ころ、M&Aの仲介あっせん業者である株式会社レコフ(以下「レコフ」という。)に対し、日本織物加工のM&Aの仲介を依頼し、平成6年3月ころ、レコフからユニマットをその相手方として紹介されてM&Aを成立させるための交渉を開始し、同月15日、ユニマット、日本織物加工との間で有効期間を3年とする秘密保持契約を締結した。

3  被告人は、ユニマットの監査役兼顧問弁護士であり、同社代表取締役社長B(以下「B社長」という。)から右秘密保持契約書を見せられてその内容を確認するなどしていたところ、同年5月10日ころ、B社長から日本織物加工を対象とするM&Aについての交渉の一切を委任され、同月18日ころ、日本織物加工がユニマット及びその関連会社に第三者割当増資を行うとともに、各親会社が保有する日本織物加工の株式をユニマットに売却することなどを内容とするM&Aの枠組み案(以下「本件スキーム案」という。)を作成し、そのころ、これをレコフを介して東海染工側に提示した。

4  A社長は、同月12日開催された日本織物加工の取締役会において、第三者割当増資自体には触れず、増資等についての詳細な説明はできないが承認していただきたい旨告げて、第三者割当増資に備えるために同社の授権資本を従前の2000万株から4000万株に拡大する定款変更を提案し、特段の異議や質問等もなく、これが承認され、同年6月28日開催の株主総会においても承認決議がなされた。

5  東海染工は、本件スキーム案を基本的に了承し、これを基に交渉を進行させようとしたが、ユニチカが従前取引もないユニマットに保有株式を直接譲渡することに難色を示すうち、日本織物加工の株価が上昇したことなどから、同年9月、ユニマットが東海染工に交渉の白紙撤回を通告し、いったん交渉は終了した。

6  同年12月ころ、交渉再開の気運が生じ、レコフ取締役副社長C(以下「C副社長」という。)の仲介により本件スキーム案を基本としたM&A交渉が再開されることになり、被告人は、同月19日ころ、B社長から再度その交渉を一任された。ユニチカは、東海染工の打診に対し、平成7年1月初旬、東海染工に協力し、交渉は東海染工に任せるが、ユニチカ保有株式の譲渡は半分を限度とし、ユニマットとの直接取引には応じないことなどの方針を示し、これはレコフを通じてユニマット側に伝えられた。そして、そのころ、ユニマットと東海染工の間において、右の事態を打開するため、B社長と東海染工代表取締役会長D(以下「D会長」という。)とのトップ会談を同月25日に行うことが合意された。

7  A社長は、同月11日、東海染工の交渉窓口である同社常務取締役E(以下「E常務」という。)から、ユニチカが東海染工主導で本件M&A交渉を進めてかまわないと述べていてその感触がよいこと、同月25日にはB社長とD会長とが会談することに決まったことなどを聞いて、ユニチカの合意が得られる見通しを強め、日本織物加工の方針として、ユニチカの合意が得られれば、本件スキーム案に沿った形での第三者割当増資を行う旨の決定をし、E常務に対し、「今回は是非実現したいので、よろしくお願いします。」と述べてこれを外部的に明らかにした。

8  被告人は、同月13日、C副社長から、「日本織物加工はもちろんですが、ユニチカも第三者割当増資には同意していますので、今後のスケジュールを組みたいのですが。払込日はとりあえず3月末ということでよろしいでしょうか。」などと告げられ、これを了承した。

そして、被告人は、同月25日に行われたB社長とD会長とのトップ会談に同席し、その後、C副社長らとも協議の上、同月30日、ユニマット側の修正案を作成し、この修正案がレコフを介して各親会社に伝えられたところ、同年2月8日、東海染工の説得を受けたユニチカは、これまでの方針を変更して、ユニマットへの直接譲渡に応じる意向を東海染工に伝えた。被告人は、翌9日、C副社長からこのユニチカの方針変更を聞いた。

9  同月14日、ユニチカ代表取締役社長F(以下「F社長」という。)とD会長とのトップ会談が行われ、ユニマットの作成した確認書案をF社長が了解し、次いで、同月17日、ユニマットと各親会社が確認書に正式調印し、同月23日、関係する証券会社、証券取引所、財務局等に対する事前説明等が実施された。そして、同年3月3日、ユニマットと各親会社は、本件M&Aについての本契約を締結し、A社長は、日本織物加工の取締役会で第三者割当増資の議題を提出して説明し、承認決議を得た。引き続き、同日、記者発表が行われて、第三者割当増資を含む本件M&Aが公表された。

10  被告人は、同年2月16日から同月27日までの間、岡地証券株式会社水天宮支店を介し、大阪証券取引所において、知人のGの名義を使用し、日本織物加工の株式合計11万3000株を合計1,828万9,000円で買い付けた。

以上の各事実が明らかである。

二  業務執行決定機関及び重要事実に関する被告人の認識について

所論は、被告人にはA社長が日本織物加工の業務執行決定機関であるとの認識がなく、また、本件決定を明らかにしたA社長の発言がされた平成7年1月11日からC副社長が被告人と面談した同月13日までの間にC副社長がA社長の右発言を知る機会がなかったことは証拠上明らかであるから、C副社長が本件決定を被告人に伝達したということはあり得ない旨主張する。

しかし、関係証拠を総合すれば、M&Aに関する専門的な弁護士である被告人は、本件M&A交渉の当初から、ユニマットの代理人として本件スキーム案を作成するなど深くこれに関与してきたものであって、日本織物加工が東海染工及びユニチカの子会社で、その取締役はすべて各親会社から派遣されて親会社の意向には反し得ない立場にあること、A社長は日本織物加工の経営の執行責任を負う東海染工から派遣された社長であり、A社長が新株発行をするには事実上各親会社の了解が不可欠であることを認識していたほか、A社長は当初のM&A交渉にも関与していて、本件M&Aに反対しておらず、また、東海染工は本件M&A交渉を通じて、一貫して本件スキーム案に沿った第三者割当増資に基本的に同意していたこと、本件M&A交渉は、ユニチカがその保有株式をユニマットに直接譲渡することに難色を示していたことがほぼ唯一の障害となっていたことなどを認識していたことが明らかである。右のような被告人の認識状況に、被告人が同月13日にC副社長から聞いた前記一、8の話を併せれば、被告人において、A社長がユニチカの保有株式の譲渡方法に関する問題が解決されれば、本件第三者割当増資を実施するために新株発行を行う旨の本件決定をしたと認識することは極めて容易であったと認められ、そうである以上、A社長はM&Aの対象である会社の最高責任者、すなわち本件における会社の業務執行決定機関として本件決定をしたものと被告人において認識していたとされるのは当然である。そして、前記一、8のとおり、被告人は、同月25日に行われたB社長とD会長とのトップ会談にも同席していた上、同年2月9日には、C副社長からユニチカが従前の方針を変更して保有株式の直接譲渡に応ずる意向であることを聞かされ、右懸案の問題が決着したことを知ったというのであり、加えて、被告人自身も検察官調書(原審乙3)において、「1月13日にC副社長の話を聞いて、A社長は、東海染工側からこの買収交渉の話を聞かされており、その内の日本織物加工において行う第三者割当増資についても承知し、ユニチカがこの買収話を承知するということを条件にこの第三者割当増資を行うという意思決定をしていることが分かった。」「2月9日にC副社長からユニチカが直接譲渡に応じることになったことを聞いて、A社長は、既に、ユニチカが買収に応ずることを条件に第三者割当増資を行うことを決定しており、本件買収交渉を親会社である東海染工やユニチカに全面的に委任しているものと思っていたので、このようにユニチカが本件買収に応ずることになり、取引がまとまった時点で、日本織物加工では、第三者割当増資を行うことを実質的には正式に決定したものと認識した。」旨供述しているところ、右検察官調書の任意性に疑問を抱かせるような点がないことは原判決が説示するとおりであり、被告人の右供述は本件の経緯等に照らして信用性が極めて高いものとみてよく、被告人の当時の認識を物語っているといえる。

以上によれば、A社長が日本織物加工の業務執行決定機関であることについて被告人の認識に欠けるところはないし、また、被告人は、A社長において本件決定をしたことを遅くとも平成7年1月13日には知り、更に同年2月9日にユニチカの合意を知って懸案の障害がなくなったことも知ったのであるから、このようにして被告人が日本織物加工の業務等に関する重要事実を知ったものと認定されるのは当然であり、原判決の認定に誤認があるとは認められない。

所論は、被告人がC副社長から本件決定の伝達を受けることはあり得ないと主張するが、原判決は、本件M&A交渉に当初から携わっていた被告人が、その過程で知り得た知識に加えて、1月13日にC副社長から聞いた内容を併せることにより、A社長が本件決定をしたことを知ったと認定しているのであり、被告人がC副社長から本件決定を伝達されたとは認定していないのであるから、所論は原判決を正解しないものであり、また、証券取引法166条1項4号違反の罪は、契約の履行に関して重要事実を知ったことをもって足り、その知った経路は問わないのであるから、所論は前提を異にしていて採り得ない。

三  本件秘密保持契約が対象としている情報について

所論は、本件秘密保持契約において秘密保持義務の対象とされている「相手方から受け取る情報」には本件M&A交渉を行っていること自体は含まれないから、仮に被告人がこの交渉の中で本件の重要事実を知ったとしても、被告人が本件秘密保持契約の履行に関してこれを知ったことにはならない旨主張する。

しかし、M&A交渉を開始するに際して、秘密保持契約を締結する趣旨は、一般には、交渉の過程で知り得た相手方企業に関する情報に止まらず、M&A交渉を行っていること自体についての情報が、従業員の士気、取引先や金融機関に対する信用を左右し、特に、上場企業の場合には株価にも影響が生じるなどして、M&Aの成立に困難を来す場合が多いことからであると考えられている。そして、本件秘密保持契約書中にM&A交渉の事実を秘密にすべき情報から除外するような文言はない上、B社長(原審甲1、4)やE常務(同30)らは検察官調書中で、本件においてM&A交渉の事実自体も秘密にすべき情報であったことを認めており、ユニマット及び東海染工においては、会社内部においてさえも、極少数の者以外には本件M&A交渉の事実が知られないよう極秘扱いの措置を取っていたことが明らかとなっている。

以上の事実によれば、本件秘密保持契約において秘密保持の対象とされている情報に本件M&A交渉を行っている事実自体が含まれると認定されるのは当然であり、原判決の認定に事実誤認はない。

所論は、レコフが、平成5年3月31日付け及び平成6年5月23日付けで、東海染工及びユニマットとの間でそれぞれ締結した依頼書には、「相手方から開示された資料・情報」のみを「情報」と定義した上で、これとは別に「交渉の事実」を取り上げ、いずれについても第三者への開示を禁止しているのに、同じレコフがユニマットからの依頼書と近接する時期に作成した本件秘密保持契約書には、交渉事実の開示を禁止する文言が挿入されていないことから、交渉の事実は本件秘密保持契約の対象から意図的に除かれたものと推認できる、と主張する。

しかし、秘密保持契約書と仲介・あっせん業者に対する依頼書とでは、契約の当事者を異にするばかりでなく、契約締結の目的、趣旨も異なるのであるから、右の文言の相違をもって所論のような推論をすることはできない。

また所論は、本件秘密保持契約の当事者にユニチカが加わっていないところ、このことは交渉の事実が本件秘密保持契約の対象とはなっていないことを推認させるものである、と主張する。

ユニチカが本件秘密保持契約の当事者に加わっていないことは所論指摘のとおりであるが、しかし、買収の当事者会社である日本織物加工及びユニマットのほかに東海染工が契約当事者となったのは、同社が日本織物加工の親会社であって、ユニチカとの間では日本織物加工の経営の執行責任を負うとされ、本件M&A交渉においても実質的な交渉を行うこととされた(レコフに対する依頼書を締結しているのは東海染工のみであることがそのことを示している。)ためであるとみられるのであるから、ユニチカが本件秘密保持契約の当事者に加わっていないことは前記認定を左右するものではない。

四  その他所論にかんがみ記録を精査検討しても、原判決の認定に所論が指摘するような事実誤認は認められず、論旨は理由がない。

よって、刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仁田陸郎 裁判官 下山保男 角田正紀)

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